どうも、明太子と申します。
ポンポさんに引き続きTLで好評だったので観てきました。
とりあえず観てない人向けに簡単な紹介を書いておくと、
これぞボーイミーツガール!これぞ青春!
という作品でした。
甘酸っぱいひと夏の恋模様が詰まっているので、そういうのが好きな人には特にオススメです。自分もこんな青春したいよ~!と身悶えすること間違いなし。
既存の作品を挙げるなら『月がきれい』が好きな人はハマると思う。
それでは早速内容に触れつつ感想に移りたいと思います。
ネタバレがどうこうというタイプの作品ではないですが、観てない人は回れ右して劇場に行きましょう。
-------------------------------------------------------------------------------
この作品の魅力は、何と言っても甘酸っぱい青春模様だろう。
人と話すのが苦手で緊張すると上手く声が出せない主人公・チェリーと、
矯正中の大きな前歯を見せたくないヒロイン・スマイル。
思春期らしいコンプレックスを抱えた二人には自然と共感できた。
特にチェリー、自分もこうやって文章で書くのはできるけど人と話すのは得意な方ではないので感情移入してしまった。
ヘッドホンとマスクというアイテムもコンプレックスを分かりやすく強調しているのがいい。
そんな自分を好きになれない二人がショッピングモールで出会い、徐々に距離を縮めていく。この距離の縮め方が特徴的で、SNS(twitter)や動画配信といった近代的なツールを通じて仲を深めていくのは新鮮だった。二分割にする画面演出なども視覚的に楽しませてくれました。
気になる女の子からいいねが来るだけで浮足立っちゃうのとか超分かる。いや来た事ないけど。
ただ好きなように自分の気持ちを吐き出しているだけといっても、やっぱり見てくれる人がいるというのは嬉しいもの。こういう現代の日常に沿った描写も感情移入しやすいポイントだったかなと。
またお互いに意識していく中で見せる恋模様が初々しくてたまらない。
スマイルが祭りに誘うシーンとか最高で、真っ直ぐには視線を合わせられずチラりと様子を伺ったり、落ち着かなくてつい髪を弄ってしまう仕草だったり、恋する乙女の可愛さが凝縮されていた。「明後日、だるま祭だね…」と誘い方が少し遠回しなのも、恥じらいがありつつも勇気を出してる感じがあっていい。
映画館じゃなかったら「あ"ーっ!!!」って叫んでたと思う。
ほぼ告白とも取れる"山桜"の俳句をSNSへ投稿した翌日に互いにぎこちなくなっちゃうシーンとかもニヤニヤが止まらなかった。止まらなさ過ぎて完全に危ないおじさんになってたからマスクで隠せて助かった。
そうこうしている内に物語はクライマックスへ。
次々とサイダーのように湧き上がる言葉の数々。
スマイルに可愛い(好き)と言われたその声で、ありったけの好きを返すチェリー。
そしてそれに応えるようにマスクを取り大きな前歯と満面の笑みを見せるスマイル。
あまりにも素敵過ぎる好きのキャッチボール。
自分一人じゃ好きになれない自分も、誰かが好きだと言ってくれることで好きになれる。無限に力が湧いてくる。
そんな感情の爆発が余すことなく描かれていた。
"山桜"の俳句自体は既にSNSで文章として投稿していて、スマイルの目には届いていた。だがその時はいいねを押すことを躊躇い、暗転したスマホの画面にコンプレックスである前歯が映し出されていたように、まだスマイルは自分を好きになれていなかった。
ところがどうだ。
チェリーの本気の叫びに、遂にスマイルは心を開くのだ。
内容は同じでも、受ける印象はまるで違う。
自らのコンプレックスを乗り越え、繰り返される素直な言葉。
最初は綺麗な俳句の形をしていたのが止めどない奔流となり、最後にはたった一つの純粋な想いを伝える為の言葉へと変わっていく。
"想いを伝える為にこそ言葉がある"
そのパワーをこれ以上ないくらい見せてくれた最高のラストだった。
SNS・メール・LINEなど、面と向かってではなく文字だけでやり取りをすることが当たり前となっているこの時代だからこそ、チェリーの姿は眩しく映る。
本当に大切な想いは直接伝えるようにしたいと感じた。
とここまでは文句無しで120点つけるんですが1点引っ掛かったところがあった。
ストーリーの一つの軸となっているレコード探し。これとチェリー&スマイルとの関係、つまりストーリー上の役割が弱く感じて観ている最中はピンとこなかった。
まず老人・フジヤマの為のレコード探しという側面が強く、これを通じて二人が親密になったという風にはあまり見えなかったのがマイナス。
関係があるとするならばフジヤマの妻であるさくらもスマイルと同じく大きな前歯が特徴的で、おそらくそんな自分を受け入れていたというのがスマイルを後押しさせたとか?
あるいは死に別れてしまった妻という存在と、今でも残っている幸せな記憶の象徴であるレコード(=歌≒言葉)というのが、言葉の力や想いを伝える大切さを表していてチェリーの背中を押した?
今この瞬間の煌めきは刹那的でも、きっとレコードのように二人の記憶に残り続けるというような側面も強調する役割もあったのかも。
あとはフジヤマのかつての青春というノスタルジーを感じさせる要素を入れることで作品内でのチェリー&スマイルとの対比が生まれ、リアルタイムで青春を謳歌している若者だけでなく自分のような青春が過ぎ去ったような人にも共感を与えていたとかか。
・・・なんだか冷静に振り返ってみると色々な意味を持ってる気がしてきた。
観ている時に繋がりが弱いと感じたのは事実なんだけど、普通に自分の解釈不足か。
皆さんはどう捉えたでしょうか?意見を聞きたいのでよかったらコメントとか貰えると嬉しいです。
【総括】
こういう甘酸っぱくて青臭いの大好物なので満足。
ビビッドな背景も相まって、鮮烈な夏の思い出として刻まれました。
感想は以上となります。
ここまで読んで下さりありがとうございました。
それではまたの機会に。